東埼玉新聞社
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 2010年10月5日 183号(復刊1号)
草加市元助役の収賄事件で木下市長が
確定
判決―司法判断に逆らう‘無実’発言

 市議会が反発し市長不信任決議、市長は議会解散で強行突破。現在、市議選の真っ最中だ。この騒動、1人芝居?2人羽織? 3人囃子? か分からないが、市政を混乱させ、木下市長の政治生命を危機的状況に追い込んだようだ。
 木下市長の記者会見の発言は、収賄事件の再検証をしたところ、「行政行為として不正な事実はなかった」、「起訴時点での元助役解職は誤りなので本人に謝罪した」というもの。市の広報8月号では「不正な指示はなかった」と踏み込み、「 司法判断は不正があったとされ、起訴という事実を重く受け止め解職してしまった」と述べた。

記者会見する木下博信市長


狙いは元助役の名誉回復か!?
 木下市長は4月、児玉一元助役の執行猶予期間が3月末に満了したのを受け、収賄事件の再検証を総務部長らに指示した。新たに行政上の教訓がないかを調べるのが目的で、作業は判決文、事件当時の担当者の検察官調書、児玉氏からの聞き取りで進められた。7月初め、最終的に4つの留意点(別掲)がまとめられ、全職員に伝えられた。

急きょ設定の記者会見 公の場で公人の市長が発言する効果!
 木下市長の発言は7月29日の‘定例記者会見’で質問に答えるかたちで飛び出した。この会見は7月中旬、「定例会見を増やしたい」という木下市長の意向で急きょ設定された(草加市長の定例会見は定例市議会前の年4回だった)。
 「過去の事件から見えた行政として留意すべきこと」の項目に移ると、X紙が矢継ぎ早に質問を繰出し、市長が「個人的な考えだが」と前置きして次々と答えた。問題の発言もX紙の質問に答えたものだ。
 木下市長の発言内容を他の記者は全く知らなかった。X紙が特ダネを捨ててまで会見で取り扱った理由は、市長が公の場で発言すること(させること)に重要な意味があったからであろう。市長が、どう発表するか腐心していたのは事実だ。一方、公人の発言だから必ず報じてくれるという計算も働いたに違いない。

行政による再検証 公平と信頼を隠れミノに市民の「誤解」を誘導
 しかし、再検証の結論である留意点から、木下市長の発言内容を導き出すことは不可能だ。携わった職員も「事件の評価に関わることはしなかった」と述べている。会見で発言の具体的根拠を問われたが市長は無視した。
 市長発言が行政の再検証に基づいていることを前提にすると、「元助役はシロ」「罪を犯していなかった」というメッセージになる。つまり、報道を通じて市民に誤解させる手法である。
 2つの発言は、司法への挑戦という批判を受けないよう「行政行為として」と限定し、「起訴時点での解職」と時間を区切っている。これは一見、妥当に見える。が、事件の全体を無視して、とくに金銭授受を一顧だにせず、自分への責任が及ばない理屈で組み立てたに過ぎない。元助役の無実を演出したとしか見えない。

問題の核心は金銭授受 3年間受け取り「ワキが甘かった」?
 元助役の収賄事件の核心は、贈賄側の社長に自動車ローン36回252万円を振り込ませたことにある。本人も初公判で賄賂性を認め、振り込みから6、7カ月後に知ったが、後で返せばいいと放置し、自分自身は当初から13回分しか入金していない。本人は「ワキが甘かった」と述べているが、助役=市長を補佐し職員のトップとしての倫理観はその程度だったのだろうか。
 贈収賄事件の要件は、職務権限(便宜供与)と金銭の授受(見返りの享受)である。2つは必要十分の関係ではない。片方の要因である職務権限は直接の指示がなくとも幅広く解釈されており、多くの事件で有罪の理由になっている。決定的な要素は金銭の授受である。この事件でも金銭授受がなければ事件にならなかった。
 児玉氏は公判で、「担当課長に機器の比較検討を指示しただけで採用を指示していない」、「金の趣旨は社長の個人的問題で相談に乗ったから」と主張した。しかし、積極的・具体的な反証は行わなかった。拘留で持病が悪化し体調が最悪だったこと、信頼していた木下市長に起訴と同時に解職されたショックから、「早く裁判を終わらせ、残りの時間(人生)を有効に使いたい」という気持ちが分からないではない。が、司法判断は厳然たる事実。

政治生命の危機を生み出すも最大級の恩返し!?
 木下市長が何故ゆえに、政治家としてリスクの大きい元助役の収賄事件を蒸し返したのか? その理由は定かでない。考えられるのは、判決確定後も児玉氏がしきりに「冤罪」を主張し、「名誉回復」なかでも公的な復権に執着していたことから、木下市長の良き理解者であった元助役のために「市長としてできること」を実行したとしか言いようがない。
 副市長への再就任打診、事件の再検証実施、「行政行為として不正な指示はなかった」と「解職は誤りだった」の発言、いずれも市長権限でできることである。しかも、再検証作業は児玉氏提供の資料に基づいて、彼の主張に沿った留意点を摘出した。児玉氏の恩義に最大級のお返しをしたと言える。
 このような事態を予測したかは不明だが、間違いなく木下氏は自らの手で政治生命の危機を手繰り寄せてしまった。

市長不信任決議→議会解散
新議会で再び不信任されれば市長は失職
 9月2日、草加市議会は木下市長の報告を受け各会派代表が質問に立った。同じ答弁の繰り返しに多くの市議が失望し「遵法精神を欠く」と市長の不信任決議を可決した。賛成24、反対5、棄権1だった。
 市長の選択肢は、自らの辞職、議会解散、辞職と解散の同時実施だったが、9月10日、「誤解による不信任だ」「行政の空白を避けたい」と市議会を解散する強行突破の道を選んだ。任期満了の市議選が約1ヶ月早まった。
 新議会で市長不信任が再び可決される可能性が高い。そうなると11月中に市長選が行われる。行政の空白を回避したいとした木下市長の思いとは異なり、混乱は3カ月に及ぶことになる。
 一連の流れには、市民の常識からはずれた論理、市長の権威と行政の公平性を悪用した‘権力の過信’が見られ、若き市民改革派のイメージは損なわれつつある。


職員が留意すべき点
@ 行政として新しい技術・製品等の情報を収集し、積極的に比較検討を図る行為自体を萎縮させてはならない
A 上司からの比較検討の指示を導入・発注の指示と忖度(そんたく)しない
B 知人・友人といえども利害関係者であれば通常以上に厳しく律する
C 銀行口座番号の漏洩に注意し、定期的な記帳と内容確認をする
職員としてあらゆる誤解を与えないよう行動を律すること
7月26日、庁内の各所属長を通じ全職員に通知された。

木下市長と草加市議会の9年
2001年8月 木下博信氏が市長就任
2001年12月 木下市長の反省を求める決議
2003年6月 市長、教育長及び学校教育部長の反省を求める決議
2005年6月 市長の反省を求める決議
2005年8月 木下博信氏が就任(2期目)
2005年11月 〜12月 児玉助役逮捕、起訴。木下市長が児玉氏を解職
2005年12月 木下市長に対する問責決議
2006年4月 公共工事にかかわる恐喝事件で暴力団幹部が逮捕
2006年4月 元助役に有罪判決(懲役2年、執行猶予4年、追徴金252万円)
2006年5月 議員請求による臨時会。地方自治法第100条に基づく「公共工事にかかわる恐喝事件等調査特別委員会」設置
2006年7月 議員請求による臨時会。百条委員会調査終了の議決(11回開催)
2006年7月 議員請求による臨時会。市長の不信任決議を否決(賛成20票、反対10票で否決)
2006年7月 市長が臨時会招集。市長の給与減額条例(3ケ月間100分の50を減額)否決。木下博信草加市長の辞職勧告決議可決(賛成20票、反対10票) 
2006年9月 平成17年度の一般会計決算を不認定
2006年12月 市長の反省を求める決議
2007年9月 平成18年度の一般会計決算を不認定
2008年9月 平成19年度の一般会計決算を不認定(3年連続)
2009年8月 木下市長就任(3期目)
2010年9月 市長不信任決議を可決(賛成24票、反対5票、棄権1票)
2010年9月 木下市長が議会を解散

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