東埼玉新聞社
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2012年4月5日 第185号(復刊第3号)
鈴木 義弘氏
鈴木県議 (三郷)国政へ、衆院14区無所属で
地域から「変革と日本の元気再生」
自民三郷支部が推薦、支援組織も発足
三郷市選出の県会議員、鈴木義弘氏(49)が国政への意欲を強めている。出馬表明はしていないが、「来たるべき時には決断し次のステージに」という言葉で胸のうちを示しており、次の衆議院選挙に照準を当てていることは確実。
一方で、自民党三郷支部(支部長・篠田進市議)が鈴木氏の推薦を正式に決め、活動母体となる日本元気再生会議(代表・木津雅晟三郷市長)も発足、バックアップをスタートさせた。鈴木氏は自民党を離れる考えはなく無所属で出することになるようだ。選挙区は当然、地元の埼玉第14区。
同選挙区は、現職の中野譲氏(民主、45)、三ッ林裕巳氏(自民、56)、苗村光雄氏(共産、56)が立候補を予定している。
強まる「南部から国会議員を」八潮も同調
鈴木氏は、年初から後援会の新年会などで「チャンスがあれば国政に挑戦したい」と意欲を示していた。
民主党政権になってからは、国の“デタラメ”政策で県政が翻弄される現実、東大日本震災後の“決められない政治”、日本の元気を再生させるためには「メイドインジャパンの復活」が必要で、これを地域と国の双方から進めたい、という考えに至ったようだ。地域には「南部から代議士を」いう永年の夢があり、鈴木氏が時宜を得て決断しつつあると言える。
日本元気再生会議の設立総会には保守系三郷市議のほとんど、市内各種団体の代表が参加。八潮市からも大山忍県議や商工会代表が出席し協力を表明した。「再生会議を北に広げ、国を変えていこう」(閉会の辞)と前進あるのみの姿勢示して閉会。
県連、党の「世襲ノー」公約破り三ッ林氏に
埼玉14区の自民党公認候補は昨年3月末、公募に急死した三ッ林隆志氏の実弟で日大医学部教授の三ッ林裕巳氏(56)に決まった。鈴木氏も自民党三郷支部の推薦を得て申請していた。
三郷支部は一貫して三ッ林氏の公認に反対し、八潮支部も同調した。大きな理由は、党本部、県連とも「世襲候補は選ばない」と公言してきたこと。さらに鈴木氏は県議3期(当時)の実績があり県連青年部長として党にも貢献していることから
県連の言う「広く戦える候補」。両支部は県連に「選考は統一地方選が終わってからにして欲しい」と要望したが、県議選告示の数日前に決定が下された。 「世襲はしない」という国民との約束も破られた。
自民県連が三郷支部に最後通告「党規違反で厳重処分」
自民党埼玉県連は、三郷支部が鈴木県議の推薦を決めたことを受け、長沼威幹事長名で「擁立すれば党規違反で処分する」と内容証明郵便で通告してきた。
支部のほとんどの党員が「党規違反は県連ではないか」と意に介さず、士気を高める結果になっている。
三郷支部の総会では「党本部が決めたことは党員として守るべきだ」という意見が前県議の逢沢義朗氏らから出ていた。しかし、大多数が鈴木氏の擁立に賛成した。
三ッ林王国”に12年前も反発
衆院選埼玉第14区は小選挙区制になって旧4区から分かれた。自民党は三ッ林弥太郎氏が勇退した2000年当時もゴタゴタした。弥太郎氏は次男の隆志氏を推し、時の実力者・森喜郎氏のバックアップで公認された。しかし、選考過程の不透明さに反発した八潮市の福野幸央県議が立候補、同市の保守層が一丸となって「南部から国会議員を」と訴えたが及ばなかった。
裕巳氏は祖父・幸三氏から3代4人目となる。旧4区は三ッ林弥太郎氏と並んで野中英二氏、青木正久氏が活躍した。小選挙区制の下では三ッ林氏のみとなり、野中系、青木系とも「自民党」に収斂されていった。が、高齢者層には三派対抗の意識が底流にあり、またぞろ顕在化する気配がある。
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